実習授業を終えて心地よく疲れた身体を引きずり、 悪友どもと一緒に食堂へ向かった。 入口をくぐるより先に聞こえてきたのは、 少女達の甲高い笑い声だ。 一歩入ると案の定、 もも色の忍装束のむれが食堂の座席の一角を占めていた。
学年を問わず入り交じり、 くの一教室の生徒たちは なにやらの話題に熱中していたらしい。 その頬は皆々上気してすらいる。 彼女らは俺たちが食堂へやって来たのを認めて一瞬、 尋常でない注目をこちらへ向けた。
おや、その話題のあるじはどうやら俺たちだったか。
そう察するには充分すぎるほど、 その注目の集まり方は不自然だった。 更に言うなら、その目の中に宿る色からして、 話題の中心にあったのは 自分と透子とに他ならない……だろう。 だってほら、どう見てもあの顔は、 “恋バナ”につきもののひそやかさというやつを これでもかというほど秘めている。
果たして、透子がにこにこと俺を呼んだ。 定食を注文してから、 それを待つ間は話を聞いてみようかと思う。 もちろん、それがくの一たちの からかいの的になり得る話題だとしても、 足を掬われるつもりは毛頭ない。 愛おしい恋人に違いない娘が相手でも 警戒くらいはする。 その後輩たちの見せ物にまで なってやる趣味はないから。
「あのね……お願いがあるの」 「不穏だな、何をねだられるやら」 「まぁ、そんな難題ではないわ」 「ま、言うだけ言ってみろ?」
あのね、と透子はまた一言置いて、続けた。
「キスして」
後輩たちがきゃあっ、と色めき立った。 一方の俺は、 また、後ろで様子をうかがっていた悪友どもは、 当然意味がわからない。
「なんだそりゃ」 「キス、して、と言ったの」 「なんだ きす って」
聞いたことがない。 透子はおかしそうにくつくつ、笑いだした。
「暗号……かしら」 「暗号?」 「もっとも、なんの隠しも含みもない語なのよ。 ひとつの単語、名詞」 「くの一教室独自のか?」 「忍たまでもわかる子はいるのじゃないかしら。 でも、そうね、この学園では新しい言葉のはずね。 私も今聞いたばかり」
この子達から、と透子はくの一の後輩たちを示した。 後輩の娘達はなにか期待に満ちた目で俺を見ている。 まあ、その目の語るところからすれば、 なにやらよこしまな意味らしいことは知れる。
「まあ、よくわからんが」
定食ができたと、呼ばれて肩越しに返事をする。
「減るもんじゃないなら。してもいいよ」 「そうね、減るものではないわ」
聞いて、くの一の後輩たちは大喜びだ。 あああ、何を期待しているものだか。 そのはしゃぎ具合からは容易に読めようものだ。
「あとでな」 「いまここでして」 「それは断る」 「なぜ? 減るものではないと言ったでしょう」
透子はいたずらっぽい目で俺を見上げた。 そろそろ慣れたぞ、その手は食わないぞ。
「俺が場合を構うんだよ」
背を向ける。 立ち去り際、チラと振り返ると、 透子はキスという単語ひとつで起きた波紋に 充分満足そうに笑っていた。 なんだかひとつ、やり返してやりたくなった。
「思いやりなんだぞ。 後輩の見ている前で、 窒息したくも酔わされたくもないだろ」
完全無欠で才色兼備、 憧れの透子先輩のあられもない姿を晒すことになっては、 困るのはお前のほうだろうから。 そうからかってやると、 それがあまりに想定の範囲外の反応だったのだろう、 透子は目を見開いて言葉を失った。 奥で席に着いた小平太が、 あー、きすってそゆこと、と納得したような声をあげた。 透子は少し悔しそうに俺を睨んだ。
「……自信家だこと、食満くん。 あとで覚えていらっしゃい、 こちらが酔わせて息の根止めて差し上げるわ」 「はは、そりゃあ楽しみだ。長い夜になりそうだな」
聞いていたくの一の後輩たちは、 素直に喜んでいられなくなったらしい。 真っ赤な顔で俯いてしまった、 おお、悪いことをした。
定食を受け取ってから悪友どもと同じ席に着くと、 長次が横から 「南蛮のどこかの語のはずだ」と注釈をくれた。 へェ、と感心した声が出る。 「お前、高槻に競り負けなくなったな」 潮江があまり興味なさそうに言った。 「ああ、まァ、読めるようになってきた」 言って自分で可笑しくなって、ふと笑う。
今夜忍んで来るはずのねこは、 八つ当たりとばかりに爪を立てて甘く噛むだろう。 どう手懐けるかは俺の腕の見せ所というわけだ。 まぁ任せろ、世話を焼くのは慣れている。 思い描いてくくっと笑うと、伊作がしらじら、 なんかやらしい笑いだなと横で息をついた。
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食満くん口調でお送りするリハビリ文でした。 とは言いつつこの文章こそが慣れていない感。 サイトの外で書き溜め始めているストックは、 運営時の感じとあまり変わりない雰囲気で……と、 自分では思っているのですが。
※ヒロインのデフォルト名は 「高槻透子(たかつき・とおこ)」です。
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