休校日に帰宅したときは、
ごくまれにではあるが、 朝に寝坊をしてもいいことにしている。 今日はそういう日ということに決めた。 だからいま、起きあがらずに とろとろと微睡むことを楽しんでいる。 楽しんでいる、というのはつまり、 意識はしっかり覚醒しているということで、 寝坊でもなんでもないのだが。 町にもまだ目覚めの気配はない。 家の内も外も皆眠っている。 太陽だけが起き出して、朝だ朝だとあたりを照らす。 しっかり者で働き者の妻は必ず・町より早く目を覚ます。 起きあがると、隣で眠る夫を気遣い、 そっと布団を抜け出して、朝餉の支度に取りかかる。 炉に火が入り空気があたたまり、 野菜を刻む音やら水を汲む音やらが聞こえ…… かと思えばいつの間にか本人の気配は家の外にあって・ 甲斐甲斐しくあたりを掃き清めたりしている。 雑多な生活の音を、ゆるゆる眠ったり起きたりを 繰り返している脳裏に聞くのは心地よい。 「文次郎様、まだ眠っていらっしゃるのですか」 もう朝餉ができあがります、と言う妻の声は それでも少々遠慮がちだ。 仕事で疲れて帰ってきたのだから、 たまの休みくらいはのんびりとさせてやりたいと、 そんなことを思っているらしい。 もう少しその声を聞いていたいと、夫は起きぬ振りをする。 妻はもしかすると、そんなことに気づいていながら、 仕方のないひとね、などと呟いているのかもしれない。 そっと寝間へ入ってきて夫の肩に布団をかけ直してやり、 思いやるようにぽんとそのうえを撫でていったり、 髪を撫でていったりする。 それは親が子どもにするようなやさしげな仕草で、 とうに大人と呼べる年を数えた夫も 幼いいつかの思い出を脳裏に反芻したりする。 疑いようもなく愛されていたあのころ、は、 もうすでに遠い昔の記憶となってしまった。 口に出して言ったりなどしないが、 そんなおぼろげな愛を妻のゆび先に感じてみたくて、 夫は今日も妻の呼びかけを耳にしても 寝た振りをして目を瞑る。 月に十日もあるかないかの、 夫が帰宅して共に過ごしてくれる日に、 妻は時折・夫をひとりにしてやろうと考える。 夫が熱心に帰宅しようとつとめてくれるのは、 かつて妻に誓った 一人きりになどしない という約束を 律儀に守っているためだ。 だから夫はかなう限り妻のそばにあろうと さまざま気遣いを寄越してくれる。 そんな夫をひとりにしてやろうなどというのは、 言葉のままに聞けば少々冷たいように思えないでもない。 しかし先日、二人で旅に出て戻ってきたそのあとから、 夫は考え込むような仕草を見せることが多くなった。 根が深刻な思考でないことは承知であったが、 妻はできるだけ夫のその考え込む時間を 邪魔せずにいてやりたいと思った。 戸惑いであったり、幸せな想像であったり、 その思考の大半が妻には手に取るようにわかってしまう。 というのは、妻も己で同じようなことをいつも考えていたし、 互いにその中身が似たり寄ったりだと察しがついたためだ。 夫の職務上付きまとう危険や恐怖もときどきちらりと 思考の端に覗いたものだが、不思議なほど楽観的に、 なんとかなる、大丈夫と思いきることができた。 それほどに、今互いのあいだにはただなににも勝る 強烈に幸福な思いだけが横たわっているのである。 「……もう眠ったのか」 真夜中に夫は囁き声でそう問うた。 わざわざ問わずとも夫は、妻が隣で眠った振りをしながら 夫の一挙一動にじっと神経を集中していることに 気がついているはずだった。 嘘の眠りのうえにこの時間が流れていると知りながら、 妻は眠った振りをし続け・夫は騙された振りをし続ける。 そうして夫をひとりきりにしてやらなければ、 考え込んだことが実らないのだと妻は知っているのだ。 夫は起きあがってあぐらをかき、眠る妻をじっと見下ろし、 なにか言いたげにまぶたを伏せたり、 手持ち無沙汰をごまかすように頭を掻いたりする。 長々とそんなふうに無駄に時間を過ごしたあとで、 夫はおずおずと、妻の下腹に手のひらを乗せる。 妻の起きる気配のないことに夫は少しほっとした顔をする。 起きずに寝た振りをしていてくれることに、ほっとするのだ。 夫はそうしてずっと考え続けてきたことに ひとつの答えを得たような気持ちになるのだろう。 愛するもの、守りたいものが、 もうすぐひとり増えるということについて。 なにか言おうとしてやはりなにも言えずに口を閉ざし、 夫はまた妻の隣に横になる。 妻は寝た振りを続けながらそのまぶたの下で少し、 泣きそうになる。 口で愛を語ることなどほとんどしてくれない夫の、 万感を込めた愛情表現を受けてみたくて、 だから妻は夫をひとりにしてやろうと思いながら、 寝た振りをして目を瞑る。 「寝た振りをする日」 * * * 先日、「TEMPEST ~夏の嵐~」を教えてくださった Rぴさんへ、時期を外した格好ですけれども、 ご結婚とご懐妊、本当におめでとうございます。 ファン創作作品をしるすことでお祝いとかえて、 というのはひねくれすぎると承知ではありますが、 『夢醒めやらぬ』を話題に出していただきましたので、 こういうふうにしてみました。 お身体にお気をつけて、日々の生活も 出産へ向けたお支度などもお忙しいでしょうけれども、 お元気でお過ごしくださいね。 それまではぺぺろんの作文も(その役が許されますなら) 気晴らし用にでも使っていただいて、 ご多忙がいつか落ち着かれました頃に また思いだしていただけたとしましたなら (その頃まだぺぺろんが運営しておりましたら;)、 お話しさせていただけますことを心から願っております。 おめでとうございました! のねむ拝 |
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