ぺぺろん再開にあたって、いろいろ整理したり掘り返したりしていて、書きかけが出て来たりもしまして……
もう十年以上前に書いたものだったり、古すぎて拙すぎてちょっとそのまま出せないな~みたいなものばかりなのですが、これはマシだったのでこのへんにぽいっとしておきます。 『宵のみぞ知る』の二文字題の番外編になる予定だったもので、2013年10月9日の日付で保存したままになっていました。 名前変換が入ってないので、ヒロインのデフォ名がそのまま出ます。 連綿 入学したての一年生のとき、同じ一年は組にはだいたい十人前後の生徒がいただろうか。 い組にもろ組にも、それぞれ十人ずつぐらいの生徒がいた。 組が違うと互いに対抗意識を抱いてしまったりして、 文次郎や仙蔵、長次や小平太とは、今ほど親しくはなかった。 伊作は当時から俺と長屋でも同室で、あっちですっ転びこっちで穴に落ちと忙しく、 俺は律儀にそれを助けてまわったものだ。 入学してから半年くらいは経った頃、 同じ学園の中に女子生徒だけが集う花園のような組があるのだということを知った。 もちろんくの一教室の実態を正しく知る以前の印象だ。 数か月ものあいだ女子生徒の姿を一度たりと見なかったことは神秘的でさえあったし、 なにより若い姿の山本シナ先生の美貌は十歳そこそこのガキどもまで惹きつけてやまなかったのだ。 妄想の色眼鏡を幾重にもかけて訪ねた先のくの一教室で、 くの一たちの手痛い歓迎を受けた俺たちは尻尾を巻いて退散する羽目になったのだが…… 忍たまたちよりもずっと人数が少ないというくの一教室に、それでも同じ一年生が十数人はいたらしい。 その中に透子もいたはずなのだが、俺はどうしてもその姿を思い返すことができない。 その頃の透子は俺にとって、幾人もいる同学年のくのたまのうちのひとりでしかなかった。 可愛い顔をしているくせにどいつもどいつもいい性格で、 口喧嘩では勝ち目なんかなかったし、ずいぶん罠にもはめられたし、 どうにかやり返すためにはい組ろ組と──あの潮江文次郎とでさえ──結託しなければならなかった。 子どもの頃のことだから、俺たち忍たまよりも背が高い娘だって何人もいた。 くの一教室のくのたまたちに俺たちがまず植え付けられた感情はきっと、 屈辱や悔しさ、俺たちが彼女らの圧倒的下位にいるのだという無言の重圧、上下関係だった。 山本シナ先生のように、美人でやさしくていい匂いがする、 そんな人と憎たらしいくのたまたちが同じ生き物なんだとは、俺たちはきっと誰も信じていなかった。 鍛錬を積み、知識をつけて、少しずつ背も伸びて自分に自信がついてきても、 強烈な第一印象は滅多なことでは拭われることがなかった。 だから、二年生になっても三年生になっても、 俺たち忍たまの大半はくのたま恐い、くの一恐い、と呪いのように思い続けていた。 時折は見かけるようになったくのたまの上級生もやっぱり美人ぞろいだったが、 その誰もがくせ者ばかりの忍たま上級生をいとも簡単に手玉にとって愉快そうに笑っているので、 警戒と恐れはじわじわと増していくばかりだった。 委員会の委員長たちでさえ、くのたまたちを相手にすると負けが混む。 いくらなんでも力でならば負けるわけがないのに、 くのたまは上級生になってもそんなに忍たまより強いのかと、俺は一度ばか正直に当時の委員長に聞いたことがある。 くのたま二人にとっ掴まって“イジられた”と肩を落としていた委員長は、 なにか悟ったような物悲しい目を俺に向けて言った。 ──仕方ねえだろ、こっちは男で相手は女なんだから。 その言葉の意味を、俺は聞いたそのときにはまったく理解できなかった。 こっちは男で相手は女なんだから、だから勝てるはずだろうと俺は思ったのだ。 釈然としないまま四年生に進級したその春、同学年のくのたまがひとり中途退学したという噂が聞こえてきた。 どこだかへ嫁ぐことになったからだというその理由に、俺たちは胸の奥をえぐられるような思いがするほど驚いた。 忍たまだったらまずあり得ないような事情だった。 くのたまたちが俺たち忍たまとは違う“女”という生き物なのだと、 それを理由に人生の進路を不本意でも曲げなければならないことだってあるのだと、 俺たちはそれで改めて思い知った。 いつの間にか俺たちのほうが背が高くなっていて、力も強くなっていて、 くのたまたちは“不浄”というよくわからん理由で実技の授業を休んでも許されることがあって、 そういうくのたまたちを相手に医務室が繁盛するのだと伊作が言っていて── よくわからなくて得体が知れない、可愛くてきれいで性格が悪くて恐いもの、 どの印象も昔とそれほど変わりはなかったのに、 俺たちの目にくのたまたちはそれまでと違うものとして映り始めていた。 こっちは男で相手は女なんだから、だからやってはいけないことがたくさんあるのだと、 俺たちは暗黙のうちに悟り始めていた。 嫁に行くからとひとり辞め、怪我をするからとふたり辞め…… 女を理由に彼女らはいろいろなものを諦めて、俺たちの前から姿を消していった。 そうして五年生に進級したとき、くの一教室に残っていた同学年の生徒は、たったふたりにまで減っていた。 十数人いた中では特に優秀だった二人が残ったのだという。 どちらも身寄りがなく、帰る家がなく、女でいたくてもしがみつくことを許されなかった生徒だった。 彼女らが女でいられるのは、その性別を武器にくの一として戦いに臨むそのときだけだった。 俺たちはごくたまに、彼女らをかげから援護する役目を与えられて任務への同行を命じられた。 どちらのくのたまもこの五年のうちに目を瞠るような美人になっていたから、 彼女らが山本シナ先生と同じ生き物なのだということを、俺たちはもう疑うこともなかった。 ふたりのくのたまは、最後に残ったもの同士の絆もあったのだろう、仲がよく任務の息もぴったりで、 片方の欠点をもう片方が補い合えるようなバランスのよさを持つ名コンビだった。 多勢に無勢というような事態に陥らない限り、援護役の俺たちの出番なんか巡ってもこなかった。 彼女らが自らの女を最大限に利用して任務をこなす姿を目撃し続ける一方で、 俺たちがどれほどの力を蓄えて強さを手にしてきたのかを彼女らが知る機会などほとんど皆無だったろう。 あのとき彼女らはどれくらい知っていただろうか、 俺たち忍たまが自分たちくのたまとは違う男という生き物なんだということを。 守られても甘えてみても弱みを見せてもいい相手だなんて、きっと思われてもいなかったと思う。 力の差がとうに歴然としていても、俺たちは互いを尊重するというような意味でもって、 対等なもの同士なのだという態度を保ち続けていた。 自分たちより力弱いくのたまたちを俺たちはそれなりに心配していたが、 彼女らの気の強さや大胆さはまるで変わらなかった。 そして五年の終わり頃、事件が起こる。 ふたりのくのたまは戦実習へ赴き、生きて帰ってきたのはひとりだけだった。 くのたまが戦に出るなんて、その実習自体が何かの間違いだったのかもしれない。 生き残った彼女も無事の姿ではなかった。 身体中いたるところに怪我を負い、包帯を巻かれた姿は痛々しくて見るに耐えなかった。 そうしてくの一教室には彼女ひとり、俺たち忍たまもほんの数人だけが残って、 学園生活の最後の一年が始まった。 ここまで お粗末様でした! |
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