「タカ丸さぁん……今のはまずかったッスよ……」
「えぇ、なにが?」 天然で聞き返してくる忍者初心者の先輩に、 らんきりしんはしょうがないなぁと言いたげに 目を見交わした。 「ああ、ほら、食満先輩出て行っちゃった」 「潮江先輩がすごい居心地悪そうにしてる……」 「?? なんのこと?」 あのねぇ、と三人は困った顔でタカ丸に教えてくれた。 さっきタカ丸さんと一緒に食堂へ来たのは、 くの一教室にたったひとりだけ六年間生き残った 最上級生の先輩なんだ。 用具委員長の食満先輩はその人のことを ずうっと大事に思っていたんだけど、 つい最近になってやっと両思いになれたらしい。 「えぇ、それって、やばいじゃん」 「気付くの遅いよ、タカ丸さん!」 「そっかぁ……俺、先輩の彼氏の前で、 髪がどうこうって言っちゃったんだぁ……」 そりゃあ、食満先輩も気分を害するわけだ。 「六年生を敵に回したくはないよ」 「そりゃあ誰だって嫌だよ! プロに近いくらいの実力者だよ、六年生なんていったら」 「うう、俺、まだ死にたくないし」 くの一たちの髪を結ってあげるのも、 ちょっと考えたほうがいいのかもしれないなぁ。 タカ丸はしょんぼり呟いた。 そのうち学園中の男を敵に回すなんてことになったら おっかなくてやってられないよ。 「しかも、今日もめちゃくちゃ美人だよ、なんてさ」 信じられないねと言われ、タカ丸はまた首を傾げた。 「なんで……? それ言っちゃ悪い?」 「そりゃあ、そうでしょ!」 言いたくても恥ずかしくてなかなか言えない褒め言葉を、 よりにもよって自分の目の前で 他の男がさらっと口にしたりしたら、さぁ! 男なら誰だってむかっ腹が立つって! それに先輩がにっこりありがとうなんて返すから尚更さー。 でもあの先輩はそういう人なんだけどさー。 食堂を出ていってしまった恋人を追いかけるくの一を 見送りながら、タカ丸は仲のいい二人の間を 掻き乱してしまったらしいことを素直に申し訳なく思った。 そして、一年生ながら人の関係をよく見ている彼らを ちょっと見直してしまったのだった。 言い訳
「委員長」
「近いです」 「なんか一言くらい仰ったら如何」 「声も出ないほど緊張しなくても結構よ」 「あなたがどうしたいと思っているのか私わかっているし」 「抵抗するつもりもないから」 「委員長」 彼は躊躇っているわけではなさそうだった。 授業や実習でも大体決心は早いほうだと聞いている。 思い込んだら意見を変えないところもある。 でもあなたの気をそらすセリフを私は心得ている。 「黒木くん」 「……なに」 「……一年生が見てる」 「……!」 もうすぐ唇が触れそうになっていたのに、 彼は慌てて離れた。 表向き、恋人同士であることは知れ渡っていても、 わざとらしくそう振る舞おうとはしないあなただから、 本当は思いきった行動に出てくれたこと、 ちょっと嬉しかったのだけど。 「続きはあとで。ね」 「……うん」 名残惜しそうに彼はそっぽを向いた。 その頬がちょっと赤い。 本当に好かれているの、あの態度で、と聞かれるたび、 私、ちょっと苦しい思いをしているの。 よかった。 思ったより、愛されているようで。 言い訳
彼女のたった一言で、僕は窮地に立たされた。
友達に言われたんだという。 「キスもしてくれない男なんかやめちまいな!」 ああ、なんて男前な友達なんだろうね。 うっかり僕が負けそうだ。 どう思う? って。 そんなこと、言われても、さぁ…… 苦悩する僕を前に君はやたらめったら楽しそうだ。 思えば僕が君と恋人同士になれるその前から、 なんとなく君にはそういう素振りがあったものね。 きっと僕の気持ちなんか、 察しのいい君にはお見通しだったんだろう。 さすがくの一教室の五年精鋭、敬服するよ。 そうだ、散々思わせぶりな言葉を聞いて、 わざとらしいくらいお節介なシチュエーションを経て、 隅から隅までお膳立てされたその舞台の上、 僕はスポットが当たるまんまん中に立たされていることにも、 固唾をのんで見守っているお客がいることにも気付かず、 まんまと告白をする羽目になったというわけ。 君にはしてやったりというところなんだろう。 そのくせ大した苦労もしないで僕をハメただろうことも 容易に想像がつくのだからなんだか悔しいじゃないか。 でも正直なところ、ハマってよかったと思わないでもない。 そう言ったら君はこのうえなく幸福そうな顔で笑うだろう。 それも悔しいから、言わないけど、さ。 だってなんだか、君を見ているだけで幸福なんだ。 君が僕の恋人だとかなんとか、まだ信じられないんだ。 そばにいてくれるだけでもうこれ以上なにもいらないなんて、 なかば本気で思うんだ。 色恋沙汰に慣れた君には笑い話だろう。 素直に言ったら、彼女は一瞬黙り込んだ。 その一瞬がまた絶妙な間合いだ、 当面の標的たる僕には致命傷に近いくらい効いてる。 さすがくの一教室五年精鋭……て前も思ったか、同じこと。 次に君のその唇が紡ぐ言葉が僕にどう響くのかが、 恐いような、待ち遠しいような…… ああ、なんだ、僕は痛めつけられるのが好きなのか? いやそんなことはないけど。ないけど! そのはずだけど! 「ねぇ雷蔵。ほんとにこれ以上なにもいらないの? 私があなたに与えたいと望んでいても まったくこれ以上いらないというの? ねぇ」 ああほんとに、 そういうことなら友達の言葉も鵜呑みにした方がよさそう。 私は好きな男と仲良しこよしだけで満足できるような 可愛い女じゃないのよね。 希望が噛み合わないのなら、 そんな男やめといたほうがよさそう。 「ま、待って! ちょっと待って! なんでそうなるんだ!」 僕が慌てふためいて彼女を止めようとしたので、 彼女はちょっとびっくりしたように僕を見上げた。 キョトーン、なんて表現が似合いそうなまん丸の目。 「迷うだけじゃなくて即座に否定もできるのね。よかった。 勢いに押されて断れなかっただけかと思って不安だったの」 彼女はにっこり笑った。 本当に、その笑顔だけで僕は満たされているんだけれど。 君は僕の憧れの人だったから、 現実に僕ひとりの特別な人として存在し始めてから、 なんだか僕はどうしていいかわからない。 ほんと言うと、考えたこともなかった。 憧れは憧れのままで終わってしまうと思ってた。 思ってたんだけど…… でも、今のこの時間を想像したことがなかったように、 この時間がいつか終わるかもしれないなんてことも、 考えたことがなかった。 彼女はなにか企んだような、 期待しているような上目遣いで僕を見ている。 彼女は僕が彼女のどんな仕草に弱いのかをよく知っている。 僕は試されているのか。 僕はこのうえうんざりするほど彼女を待たせてしまったあと、 キスひとつ、 恋愛ひとつしくじったくらいで命がなくなりはしない なんて、現状と命とを天秤にかけるという突飛な考えで 迷いをやっと看破した。 彼女の思うまま舞台のど真ん中で踊らされてしまっても、 なんだか幸せと思ってしまうあたりは、 情けない男なのだろうか。 言い訳
古今東西、忍術学園の“いちばん”。
学園中でいちばん忍者しているという、 六年い組・会計委員長の潮江文次郎先輩。 学園一火薬の扱いと知識に長けているという、 六年い組・作法委員長の立花仙蔵先輩。 学園一無口で無表情な男、 六年ろ組・図書委員長の中在家長次先輩。 これって委員長たちの名前を挙げていけば 失格にならないで済むんじゃないかな。 じゃあ、七松小平太先輩は……ええと…… 学園一無敵で無茶で無鉄砲で…… …… そうか。 善法寺伊作先輩はあれだね! 不運委員長って呼ばれてるくらいだもんね! 乱太郎。諦めろ。 あの人のあれは学園公認になっちまってる。 そうだね…… 僕らの食満先輩だって!! そうだよ、食満先輩はぁ…… けませんぱいは? いちばんまとも!! あ、そう…… じゃあ、先生は? 天下の剣豪、戸部新左ヱ門先生! 学園の枠なんかで比べられないよなぁー。 やっぱ学園長先生かな? いちばん偉い人だし。 いちばん迷惑な人かもしれない! 言えてる! (一同爆笑) 土井先生はどうかな。 いちばん……忍者の先生の中でいちばん若い先生かも! あ、食堂のおばちゃん! おばちゃんは最強だよ! うん、学園でいちばんだね。 誰も敵わないね。 …… …… でもさぁ。 僕たちは思い出したのだった。 学園で忍術を使えない人はふたりいて、 ひとりは食堂のおばちゃん、もうひとりは昔くの一教室に 一年間だけ通っていたという女の人。 今は学園に先生として戻ってきて、 忍術とは関係のないお作法の授業をしてくれている。 今、たしか十八歳で、山田先生の息子さんの利吉さんと、 ちょっといい感じに見える。 先生はとってもきれいな人で、いつもいい匂いがする。 会うとにこにこしてくれて、やさしい声で話をする。 僕たちは先生の授業が大好きだし、先生も大好き。 利吉さんにその話をしたら、 自分のことみたいに嬉しそうにしてたっけ。 そのことを今度は山田先生に話したら、 可笑しそうににやにやしてたっけ。 面白い親子だねって、最後はみんなで笑ったんだった。 僕たちが思い出したのは先生のことだった。 この間、土井先生も山田先生もたまたま忙しかったとき、 その日最後の授業は先生が教えに来てくれた。 「はい、本日の授業はこれで終了です、よく頑張りました。 お当番に従ってお掃除をしてください」 先生がそう言って授業は終わったけど、 そこで僕たちは大喧嘩をし始めてしまったのだ。 掃除当番の順番が昨日突然割り込んだ倉庫整理で狂って、 誰が掃除当番に行くのかでもめてしまった。 取っ組み合いにまでなっていく僕らの喧嘩を 先生は教室の隅にいたままじぃっと見ていたんだけど、 いつもやさしい声が急にトゲトゲして、 ぴしゃりと言ったんだ。 「みんながみんな、やらないと言い張るのなら結構です、 お掃除なんてしなければいいじゃありませんか? そのまま喧嘩を続けるなり、遊びに行くなりなさい。 お掃除は私がひとりでやります」 言うが早いか、先生はずかずか歩いて行ってしまった。 笑っていない先生を見たのは初めてだった。 普段やさしい人が怒るととっても恐い。 怒鳴ったりしたわけじゃないのに、 先生が静かに言っただけで僕たちはびくびくしてしまった。 僕たちはたちまち気まずくなって、 それ以上喧嘩をする気にも、 すぐ遊びに行く気にもなれなかった。 なんとなく、ちらちらお互いの顔を伺い見ながら、 僕たちは先生がひとりで掃除をしている裏庭に向かった。 で、結局全員で掃除をすることになったんだ。 忍術も使えない普通の女の人だから、 僕たちは学園でいちばん弱い人が先生だと思っていた。 でもなんだか、そのことがあってからは もしかしたら違うかもしれないと思うようになった。 人が強い弱いっていうのは、 力だけの話じゃないのかもしれない。 先生はあんなに簡単に僕たちの喧嘩をやめさせて、 反省させて、ちゃんと掃除もさせた。 それで、全員で掃除を終わらせたあとは、 ちっとも怒ったりすることはなかったんだ。 はい、きれいになりましたね、って。 先生はすごい人だなぁ。 もしかしたら学園でいちばんすごい人かもしれない。 言い訳
己の指先を見て、恋人の視線が凍りついた。
致し方のないことだと伊助は思う。 「どうしたの、それ」 「ああ、家業の手伝いをしたものだから」 納得したようだ。 家業というのは染物屋である。 異常という言葉でも足りないほど、 伊助の指は青く染まっているのであった。 「藍染めだよ。 他の色よりも目につくね、藍の指先というのは」 「血の気が引いて凍ったようだわ」 本当だ、と伊助は笑った。 「伊助は染物屋さんになるの?」 「そうだね……恐らく。半々かもしれない」 忍と二足の草鞋でつとまるとは、 本当は伊助は思っていない。 いつか来る選択の時を、 今はまだ後回しにしているというだけのことだ。 この話をすると恋人がいつも我がことの心配のように 複雑そうに黙り込んでしまうのを知っているから、 伊助は明るい声で話題を別のほうへとそらした。 「藍染めには面白い言葉があるんだよ」 「……おもしろい?」 「そう。 染料液をね、何度も使い回すことがあるのだけど、 布に色素がしみこむには 染料が活性化している必要があるんだ。 けれどたとえば一晩寝かせたりしてしまうと、 染料も大人しくなってしまって布に色がつかない」 少し説明くさい話になってしまったので、 恋人が退屈そうな顔をしなかったかと伊助はチラと 隣に座る人の顔を伺い見た。 続きを促すような顔をしているので安心して続ける。 「だから、活性化のために藍液を起こすときは 薬品を入れて化学変化を起こしてやるんだ。 そうすると、そのうち藍液の表面に泡が立って、 濃い色をつける染料としてまた甦るわけ」 「へぇぇ……」 感心しきりの恋人を、本当はときどき変わり者と思う。 染物屋の話を嬉々として聞く人など、 忍の学園には稀であったので。 そしてそういうところが愛おしいのだ。 滅多に言えたものではないが。 「で、その表面に泡が立つことを」 あ、しまったぞと伊助は一瞬焦った。 ここが肝要なのだからこそ、 聞いた恋人が下手に意識しないように さらっと何気なく言うつもりだったというのに。 緊張してしまったのか、わざとらしく一拍あいてしまった。 ああ、不覚と伊助は内心ちょっと落ち込んだ。 「……藍の花が咲く、というんだ」 「あいの、はな……」 案の定だ。 恋人は聞くなり、伊助の言葉に愛情ゆえの含みがあることを 明らかに期待している顔をした。 嘘だろう。 これ以上解説する気はないんだけど。 「……ちょっと、ロマンチックな気がするよね」 誤魔化されてくれはすまいか。 ああしかし、恋人の期待は枯れなかった。 彼女は満たされて幸せと言いたげに微笑み、 伊助が咲かせたその“あいのはな”、見てみたいな…… と、ちいさな声で囁いたのだった。 言い訳 |
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