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海境奇聞編

数年前、夜の巡るたびになんだか妙に目がさえて、
眠れないままただじっと横たわって
海の波の音に耳をすませている時期があった。
館の中はしんと静まり返っているのに、
その外から遠く、寄せて返しての波の音は
片時たりとも絶えることなく続いている。
いつもは誰かが必ず目を光らせていて、
私が海へふらふらと近寄ってゆくことにいい顔をせず、
ろくろく足首まで水にひたしもしないうちに
館の奥へと引きずり戻されてしまう。
その理由を、海の神が私を連れ去らぬようにと
誰かが言っていた気がするけれど、
同じ連れ去られるということならば
私は一度海の深くへ沈んでいってみたいと願ってしまう。
水軍の皆が私を想ってくれていることは
それでもよくよくわかるから、
そんなことを口に出して言うことはできないけれど。

──どうした

水練の地位を確固たるものとした舳丸も、
ときどきは海の見張りの番につく。
数年が経っていま、眠れない夜にひとりでいるときは、
ときどきこうして舳丸を訪ねに館の中を歩いてみたりする。

──眠れないの

舳丸は特に答えずに、海のほうへと視線を戻してしまった。
自分から私に構ってくれることなんて
ほとんどないみたいな人だけれど、
そばにいることを咎められたことは一度だってないし
静かに考えごとにふけっているあいだは
話しかけずに適当に放っておいてくれることが
ありがたくも思えてしまう。
とても、勝手な話だけれど。

寄せて、返して、途切れない、波の音。
黙ってそばにいさせてくれるだけの人。
私が自分からなにもせずにいれば、
距離も関係もなにひとつ変わらないものたち。
近くもなく遠くもなく、
けれど揺らがずにただそこにあることの安心。
深く沈んでみたいと願うのは、
つまり、そういうことなのかもしれない。

目を閉じてじっと波の音を聞いていると、
うとうととやっと意識がかすれ始める。
舳丸はそれに気づいて、寒くないように、
羽織りものを肩に打ちかけてくれた。
実は面倒見もよくて、やさしいところもある人。

眠りに落ちるその寸前に思い返す。
数年前の真夜中、眠れずに海へ走り出した私を、
連れ戻しに来たのがこの人だったということ。
一緒に帰ってくることを、私が自分で選んだということ。
つまり、それは……
もう少しでその答えがわかりそうなのに、
意識はぼんやり薄れていった。

こうして何年も続いてきてしまったから。
私たちは今もまだ、曖昧にただ一緒にいるだけだ。




片恋の花編

真夜中、学園の外に出ようとすると、
最近小松田さんが私たちに目をつけているようなので、
必ず見つかってしまう。
前科が何回かあるのがばれてしまったから仕方がない。
それで、最近のきり丸とのデートは
基本的に学園の敷地内という
ちょっと味気ない色気ないことになってしまっている。
それでも、会ってしまいさえすれば
不満も不便も全部溶けてなくなっていく。
人を好きになるって、なんて不思議。

──あれが片想いの花ならー、
──なによ
──気持ちの分だけ飾るっていうならー、
──ばかにしてるの?
──違ぇよ! いいだろ別に、思い出すくらい
──もう飾っていないもの、私

両想いになったからだ。
願掛けは必要なくなった、願いは叶ったから。
それだけではなくて、
心の内側に凝っていたたくさんのことを、
きり丸が全部救ってくれたような、そんな気がする。
あの花を通じて。

──だとしたらさ、
──ええ、
──これ全部分の片想いが世の中にあるってことなんかな……

思いがけない壮大な話になって、思わず目をしばたたく。
星の数ほど、と言って大袈裟ではないくらい、
学園中そこかしこに咲いている花なのだ。
真夜中、屋根の上のデート、見上げると星、見下ろせば花。
みんな誰かが、誰かを想う心。

──だったらさぁ……すごいよなぁ

なにがすごい、のかはよくわからないけれど、
たぶんきり丸もそれほど深い意味もなく
言っているんだろう。
ただ、人が人を想うということの力というか、
すごく小さなささいなことのはずなのに
自分の内側に起きる波の大きさとか、
きり丸と一緒にいるようになってから
すごく思い知らされることが多くなったから。

──そろそろ眠くなってきたか?
──うん……少し
──まだ寝るなよ

もう少しここにいたいんだ。
ほらまた、たったそれだけの言葉なのに。
たちまちに心が浮き立って、頬が火照る。
言った本人は涼しい顔をしているっていうのに。
少し拗ねたような気持ちになって、視線をそらすと
夜風に揺れている小さな花の群れを見下ろした。

ぜんぶぜんぶ、誰かが誰かを想う心。
どうか誰もが報われますように。
花の数だけ、星の数ほど、幸せが待っていますように。



夢醒めやらぬ編

数年前、文次郎様と一緒に暮らし始めた頃のこと。
お城で起きた事件、目撃したできごとのすべてが
あまりに恐ろしくておぞましくて、残酷で、
うっすらと浅く眠っては目を覚ます日を
長らくのあいだ送っていました。
悪夢を見て、あまりの恐ろしさにうなされて目覚め、
びっしりと汗をかいていて、涙が止まらなくて……
それでも、声をあげて泣けるわけがなかったから。
嗚咽を必死でのどの奥に押し込めて、
息も絶え絶えになりながら涙を流したことを、
いまもよく覚えています。

文次郎様はいつも私に背を向けて
自分の腕を枕にして眠っていらっしゃいました。
その視界に私の姿が映っていないのは当然のことですし、
私がいきなり飛び起きても驚いて目覚められるご様子は
ありませんでしたから、
あの方は深々と眠り込んでいらしたのだと思っていました。
けれど途中で、なぜだかわからないけれど、気づいたのです。
あの方は本当は目を覚ましていらして、
ただ眠ったふりをしていたのだと。
背を向けたまま、
まるで何事にも気づかずにいるように眠ったふりをして、
その背の後ろでうなされ飛び起きて泣いている私に
じっと全神経を集中していたのだと。
慰めてくださるわけでも、謝ろうとするのでもなく。

あの方の思いやりはときどき、
こうしてとてもわかりにくい表れ方をするのです。
相手の気が済むまでをじっと待つ……という。
時を経て、やっとお互いに歩み寄ることができても、
あの方の基本的なところはやっぱり変わりがなくて。
いまでも私の反応を焦れったそうに待っているお顔、
たまにお見かけします。

……だから……今日は。
帰っていらっしゃるかしら。
またなにかご用事がおありなのではないかしらと思ったけれど、
それらしいお詫びの文などは届いていません。
毎年ご用事がおありだとかで、結局ご帰宅されない時期。
そのご用事というのが嘘とは思わないけれど、
これもわかりにくいあの方のお気遣いかもしれないと、
そう思ってしまいます。
眠れない夜がやってくるこの季節、夏の終わり。

それでもいまは、
恐ろしい思いで飛び起きたそのときに、
あの方がおそばにいてくださったらどんなにいいかなんて、
素直に思ってしまうこともあるのです。
それをお伝えしたら、あの方は少しでも、
肩の荷が下りたと思ってくださるでしょうか。
眠れずに泣いているわたしをじっと待って、
眠らずにいるあなたのために。

 * * *

前回書かなかったシリーズ編。
続きものはコンプかな?
夢醒め編はこのあと番外の『その日、その夜』にリンク。
世界を敵に回しても、はまだ書ける要素が少ない程度しか
公開できていないので今回は出番なしでした。

おやすみなさい、よい夢を。
 
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のねむ
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