「なぁ、いま後ろ通った子見た?」
放課後の帰り道、駅のホームでのことだった。 雪もちらつくほど寒い冬の日で、 電車が入ってくるまでの数分間が 気が遠くなるほど長く感じられた。 おしくらまんじゅうでもするかのように肩を寄せ合って、 電車はまだかと線路の奥へ視線を注いでいた一同は、 留三郎がそうつぶやくまで 『後ろ通った子』にはまるで気づきもしていなかった。 「おまえは背中に目がついてでもいるのか」 「いや、たまたま見ただけだけど」 すげー美人、と言いながら、 留三郎は友人たちを見返しもせずにホーム内の歩道橋へ 熱視線を注いでいる。 その頬が心なしか赤く染まっているのは寒さのためなのか、 それとも。 「そこ上がっていったの? じゃあ向こうのホームに出てくるんじゃない」 伊作はそう答えながら、 沸き起こってくる予感に胸がざわつくのを 抑えられなかった。 思わず友人たちを見回すと、 皆が不意打ちに面食らったような顔をしている。 きっと誰も同じ予感を覚えたに違いない。 昨年の春、大川学園高等学校に入学した彼らは、 仲間の最後の一人と『再会』を果たした。 小学校と中学校、 進学先の高校まで一緒だったのは五人だけ。 遅れること九年、高校の入学式、 食満留三郎はやっと姿を現した。 その春、幼なじみ五人組に留三郎が加わって、 満を持して学園名物の六人組が誕生したのだ。 数百年の昔と現代とではまるで別世界というほど 世の中は変わったが、 六人はおかしいくらい変わらなかった。 仙蔵は相変わらず学園一優秀と言われるほどの 成績をおさめ、中でも現代高校科学を極めに極めている。 長次は暇さえあれば学校図書館から地域の図書館から 町の書店まで渡り歩いて本を耽読し、 小平太はバレーボール部員でもないのに 豪快なプレイとボールの破損率の高さで 全国規模に名をとどろかせた。 伊作は現代の日本における 医療の道の険しさの前に立ちすくみ、 薬膳や漢方、ハーブなど、 東洋医学と民間療法の世界に脱線している真最中。 文次郎は小・中学校と生徒会長を歴任し、その統率力と 人の目の前でも気取らずに努力に打ち込む姿勢、 目の下のくまも健在だ。 その文次郎と留三郎は、 現代での出会いがしらから相性が悪く、 示し合わせたかのように犬猿の仲と囁かれるほど けんかばかりしている。 たまに意見が合ったところに居合わせたものたちが 一様に天気の心配をするまでがワンセットだ。 クラス分けはかつての『同室』のものが 同じ教室に机を並べる結果となり、 偶然の采配にしてはと勘繰りたくもなる。 大体にして、 学校の名前が『大川学園』であるところからして 思わせぶりだ。 あと二か月半もすれば彼らは高校二年生に進級するが、 やってくる新入生の中にも知った顔があるのではないか。 自分たちよりも上の学年には、 それらしい覚えのある人は不思議といないのだが、 教員方の中にはなんとなく親しみを感じる人もあったし、 何より学園長という人が神出鬼没で、 やたらめったら突発イベントをやりたがる。 ああ、そうそう、こんな感じだったと、 数百年を隔てた過去の記憶を掘り起こすことも しばしばの彼らなのだった。 「制服わかんなかったけど、 ウチの学校じゃないのだけはわかった。どこの学校だろ」 先ほどの『後ろ通った子』の話だ。 向かいのホームに姿を見せるのを、 留三郎は今か今かと待ち受けているようだ。 彼の様子に、五人はひそかに視線を見交わした。 「留三郎の言う美人って、一発で当てる自信ある」 「私も」 「俺も」 「おお? 言ってみ」 留三郎はそれでやっと肩越しに友人たちを振り返った。 彼らはここぞとばかり、畳みかける。 「黒髪ロングのストレートで」 「可愛い系じゃなくてけっこうきつめのキレイ系」 「十中八九、山本女子の一年だな」 「友達とはつるまないタイプ」 「あれはつるまねぇんじゃなくて友達いねぇんだよ、 同性の後輩受けはするが」 「一人で歩いてただろ?」 留三郎はぽかんと口を開けたまま動けずにいる。 一同は平然と続けた。 「山本女子な、中高一貫だったよな」 「バレンタインとかチョコめっちゃ稼いでそう」 「そこらの男子よりもらっているかも」 「そんな感じじゃなかったか、留三郎? 当たっているだろ?」 「……おまえら、ホントは見てたろ」 それでないとそんなに具体的に挙がるはずがない。 見てない、と首を横に振る友人たちを、 留三郎は軽くにらんだ。 「あっ、ほら、来た」 皆が一斉に、歩道橋の降り口に注目した。 人のまばらな駅のホームに、 彼女は寒そうに背を丸めて降り立った。 ダッフルのショートコートを着込み、 首まわりにはタータンチェックのマフラー。 長くまっすぐな黒髪は、 乱れるのもお構いなしでマフラーの中に巻き込まれている。 肩から下げた鞄には 目立つショッキングピンクの紋様が刻まれた 金属プレートがはめ込まれており、 それは誰かの指摘の通り、近隣の山本女子学院の校章だ。 ほとんど黒にしか見えない濃紺のセーラー服は ほとんどコートに隠れているが、 地元の老舗テーラー謹製の歴史ある制服と有名で、 世の父兄の信頼が篤い。 プリーツスカートは控えめな膝丈、 そこから伸びる足は 透け感のない黒ストッキングに覆われている。 「あの靴! かかと細っそ」 「昔ながらのセーラー服に ピンヒールのパンプスを合わせてくるセンスが あいつらしい」 「あれじゃあ何かあったとき走れないじゃんか」 「逃げ道も反撃技も確保してるだろ」 「タマ蹴って地面に転がしてから あのヒールで思い切り踏んづけるくらい 涼しい顔でやるって」 セーラー服にも冬の道にも相応しいとはいいがたい、 ストラップ付きのエナメルパンプスが、 歩く調子に合わせてコツコツと音を立てているのが わずかに聞こえてくる。 友人たちの言い様に留三郎は少し気分を害したらしい。 「おまえら失礼すぎ 。いいじゃねーか、似合ってるし」 「似合ってはいるが」 「昔からああいうのは得手だったな、あいつは」 「あの狭い中じゃあ、 上級生ほどファッションリーダー的な役割に なりやすかったんだろ」 「あの頃は最上級生、ひとりだけだったしさ」 はぁ、とあきれ混じりのため息が五人分。 「しかし……あいつだな」 「いるもんだね……そして会うもんだね、 時代を越えてまで世間って狭い」 おもむろに小平太が、 ホームの向こう側に向かってぶんぶんと両の手を振り、 声を張り上げた。 「おおおい! 透子ちゃーん!」 「小平太、それはあまり唐突すぎでは……」 一部始終見守りに徹していた長次が、 彼にしては相当焦った仕草で 小平太をたしなめようとしたが。 呼ばれて彼女は、ごくなにげなく、目を上げた。 自分たちの姿がはっきりと彼女の視界にとらわれたことが、 手に取るようにわかった。 どきりと心臓が跳ねたような気がして、 留三郎は一人うろたえる。 小平太が唐突に名前を呼び、 ほかの皆がそれを囲むように立ち、 仲間に迎え入れようというようなまなざしが向けられる、 今この場で向かい側のホームの彼女の目に 映っているはずの光景に、留三郎は覚えがあった。 入学式のあの日、あの時、 いきなり呼び止められて振り返ると、 彼ら五人が立っていた。 まるで昔からの友だとでもいうような、 何もかもわかっているからと言いたそうなその雰囲気。 不思議と留三郎は、それを奇妙だと思わなかった。 この五人に自分が加わることを、 彼はそのときごく自然に受け入れたのだった。 小平太はまだ、 ぶんぶんにこにこ、勢いよく手を振っている。 向こう岸の彼女は数秒、 何が起きているのかもわからないふうで 一同を見返していたが、 やがて思い切り嫌そうな、気持ち悪いものでも見るような、 遠慮のない蔑みの目を向けてきた。 「おい、変人扱いされてるぞ」 「留三郎のときはこれですんなりいったのにねえ」 「女子相手に同じようにはいかないかぁ」 「留三郎、お前、向こう行って弁明してこい」 「はぁ? なんで俺が」 「じゃあ別の誰か行くか? 誤解が解ければ誰だっていい」 「や……そんなら俺が行くけど」 「どーぞ、どーぞ」 「お笑いネタかよ……」 軽く毒づいて、 留三郎はそれでも居ても立っても居られない様子で 歩道橋の階段へ向かった。 彼の姿が一旦見えなくなると、皆が皆ため息をつく。 「もう何度目になるかわからんことを言うが」 「ああ」 「留三郎は本当に覚えていないんだな……」 おかしいほど変わらなかった六人の、 唯一の欠落がそれだった。 食満留三郎ひとりだけは、数百年の昔の記憶を、 少しも持たずに現代に生まれ変わっていた。 「しかし…… 我々だけでなく高槻のことも覚えていなかったか」 「高槻もこちらのことは覚えていないように見えたが」 「僕もそう思った。てか、山本女子ってどうなんだろ? 大川が忍術学園としたら、 あっちはくの一教室にあたると思っていいよね? きっと山本シナ先生がいらしてさ」 「高槻が生徒なんだから、まぁそうなんだろうな」 階段を駆け上り、走って渡り、また駆け下りたらしい、 肩で息をしながら留三郎が向かいのホームに姿を見せた。 「お、出てきた」 「どうなる」 「わぁー……透子ちゃんめっちゃ嫌そう」 早足で近寄ってくる留三郎から、 彼女は警戒心もあらわに一歩、身を引いた。 いまにも逃げだしそうにしながら、 それでも彼女は留三郎に話しかけられるのを 避けようとまではしなかった。 「ああー……微妙に話が聞こえないんだよなぁ」 「懐かしい光景だな、あの二人が並んで立っているの」 「見覚えがあるな…… 昔嫌そうにしていたのは留三郎のほうだったろうが」 「最初の頃だろ? 透子ちゃん、留三郎を引っかけようとしてたから」 「それでまぁよく夫婦にまでなったものだ」 「なんだかんだ仲よかったよな」 「留三郎の人徳のおかげだよ、それは」 「身長差は縮んでない? あれ」 「ヒールのせいだ、ヒールの」 冷え込みの激しい夕刻、何かまくし立てている留三郎の、 言葉が白く曇っては浮き上がり、消えていく。 「留三郎はひとりでしゃべってるな……」 「……あ、スマホ出した」 「連絡先を聞いてるらしいな」 「会っていきなり口説いてるのか……」 「すごい度胸」 留三郎の勢いに押されたのかどうか、 彼女もしぶしぶといった様子ではあるものの、 山本女子学院の指定カバンから スマートフォンを取り出した。 「わ! 応じた」 「フラれる率が低いとはいえ……」 彼女はスマートフォンの画面を 何度か軽くタップしたあとで、 その画面を留三郎のほうに向けた。 留三郎は嬉しそうに、 自分のスマートフォンの画面と見比べながら、 何かを入力している。 留三郎がそうして連絡先を控えているあいだ、 彼女はどこか冷めたような目で その手元を見つめていたが、 思いがけないほど近い位置に立っていることに いきなり気が付いたようで、 動揺したようにかすかに視線をさまよわせた。 反対岸のホームから二人の様子を見つめていた五人まで、 それで何か照れを感じて一瞬押し黙る。 「……『人が恋に落ちる瞬間をはじめて見てしまった』 ってなんだっけ……」 「……『ハチクロ』じゃないだろうか」 「それだ」 「それな……」 「あれくらいで赤くなるとは。 昔通りのビッチのあばずれだったらどうしようかと」 「その言い方はちょっと…… 昔だってくの一だからそうだってだけで」 「任務でも実習でもないのに 結構な人数の忍たまが食われていただろ、 留三郎が手懐けるまで。 あれは当時だってひどかったと思うぞ」 メッセージの送信確認でもしているらしい、 留三郎は自分のスマートフォンを 猛スピードでタップしている。 かつて彼らも見慣れていた二人の姿の、 まさに現代版だった。 「お互いに覚えていないのに」 「またお互いに恋に落ちるんだな」 留三郎の屈託のないさまからは 企みも裏も感じられなかったのだろう、 それともあきらめたのか、 彼女は何か返信をするようなしぐさを見せつつ、 口元でわずか、微笑んだ。 いいなぁ、と呟いたのは伊作だ。 「僕もそのうち奥さんに会えるのかなぁ」 「高槻に恋愛相談してなかったか、お前」 「してた。女子の意見が聞けたおかげで 話しかける決心がついたんだもん。 奥さんがもし僕のこと覚えていなかったら、 また高槻に相談してみようかな。 なんかどこかのカフェとかで バイトしてるような気がするけど」 昔は茶屋勤めだったから、と切なげに目を細め、 その横で小平太がお気楽そうに話を受けた。 「文次郎の嫁ちゃんは会えるならもう何年かあとかなぁ? 昔あったことをなぞって 今いろいろ起きてるんだとしたらさ。 昔会ったの卒業後だもんな?」 「さぁな、知らん」 「素直じゃないな、お前も。何百年その反応なんだ」 「やかましい」 「……昔通りだったら、文次郎は大変そうだ」 その『大変』にかつて付き合った長次が、 含んだような笑いを漏らした。 「……俺はいいんだ。 あいつが今この時代に生きているなら、 ……その『大変』がましであってほしい」 「昔通りそのままということは、さすがに考えにくいが」 「そのままだったら 僕ら声もかけられないような本物のお嬢様じゃない?」 「そんで実際会う頃には 『文次郎の就職先の偉い人の嫁さん』で、 『社内で派閥争いがあってトップが入れ替わって』、 ……このあとどうやって文次郎のとこ来るの?」 「知るかよ! 想像でまでハードル上げんな」 「つくづく手を抜いて生きるわけにいかない奴だな、 気の毒に」 「もう決まったような言い方すんな! 昔通りとは限らんというのに!」 文次郎のわめくのをかき消すように、 駅の構内にアナウンスが響いた。 やがて向こう側のホームに電車が入って来、 乗客を降ろし、乗せ、駅を出ていく。 電車が去ったあとの対岸のホームに彼女の姿はなく、 留三郎一人が残された。 「最初引いてたけど 連絡先は教えてくれた!」 歩道橋をまた走って渡り戻ってきた留三郎が 興奮気味に言った。 「そりゃそうだろう」 「よかったじゃないか」 「オメデトウ」 友人たちの反応はやや白けていて、 留三郎にはそれが不満だった。 「……喜べよ! なんでそんな冷たいのおまえら」 「ま、相手が高槻だったからな」 「今度紹介してよ、僕らにとっても友達なんだから」 留三郎は不可解そうに眉根を寄せた。 「てか、おまえら、知り合いなの? 名前知ってたし、元から友達なら紹介いらなくね? むしろ俺が紹介される側だろ、なのに」 五人は相談するように目を見交わした。 「つっても、透子ちゃんの様子見てるとなぁ」 「高槻も覚えていないらしかったからな」 「見知らぬ男が六人がかりで迫ってきたら、 さすがに怖がるかもしれない」 「昔とは違う……」 遠い目をして何か思い馳せるふうの友人たちに、 留三郎は目を白黒させる。 「また言ってんのかよ、飽きねえな、そのネタ」 「ネタなぞじゃない」 「おまえらの理論でいったら、あれか? 高槻さんも忍者の学校にいたってのか?」 一同はぐっと吹き出した。 「高槻さん」 「なんだそれは」 「他人かよ」 「だ……だってまだ付き合ってるわけじゃねえし」 「違うの?」 「……連絡先交換しただけだよ」 「すげぇ……まともに始まってる」 「だから、昔の高槻のやり方がまずかったんだって」 終わりの見えない『昔の話』に、 留三郎はしびれを切らして口をへの字に結んだ。 「あ、怒った」 「すまん、わかった、やめよう」 「……俺はいいけど。 高槻さんを変にネタに絡めて言うのはやめてほしいし、 今度紹介とかできても、困らす話はしないでほしい」 「会ったら一回だけ 昔のこと覚えてないか聞いてみてもいい?」 「……場合による」 まだ付き合っていないと言いながら、 留三郎はすでに彼女に群がるものたちの前に 立ちふさがって障壁の役を果たそうとしている。 紹介が実現するころにはきっと、 『高槻さん』は『透子』になっていて、 留三郎の交際相手として現れるのだろう。 驚くほど急速に仲良くなっていくだろうと、 容易に想像ができた。 つい先ほど出会ったばかりで いつの間にそんなに互いを好きになる時間があったのか、 もしかしたら本人たちにもわからないようなその根拠が 彼らにはわかる。 二人は彼らがかつてよく知っていた、あの二人、なのだ。 「おまえらが言うの、真に受けるわけじゃねえけど」 面白がって聞いても信じてまではくれないらしいが、 留三郎は平静そうな口調を保ちつつ呟いた。 「高槻さんが女忍者ってなんかかっこいいかも」 「……おっかねえぞ」 「おまえなぞすぐ食われるぞ、留三郎」 「と思ったら、透子ちゃんが逆に毒消しにあって 丸くなっちゃうんだよな」 「ねこだけに……」 「そうだ、ねこと呼んでたね、懐かしい」 「気まぐれで寒がりで……」 「いつの間にか忍び込んできていて」 「見れば四六時中寝ていて、 ちょっとやそっとじゃあ起きなかった。 本当にくの一なのか疑わしかったほどだ」 「舌八丁で誑かして 人心を掌握するのはやたら巧かったぞ。 他の実技にはムラがあったが」 「悪女だとか女狐だなんて呼ばれてね。 それが留三郎にかかると よく寝る飼いねこになっちゃうんだもの。 用具委員長だったくせに獣使いの生物委員みたい」 「いつだったか、留三郎が鈴のついた髪紐を贈ったら、 『とうとう飼いねこに鈴をつけた』と笑い話になったな」 よくわからない『昔の話』が蒸し返されたうえ、 悪口が混じっているように聞こえたのだろう。 留三郎は曖昧にしか笑わなかったが、 経緯を知らなくても ねこという呼び名には 何か納得するものがあるらしい。 確かにちょっとねこっぽい、と呟いて、 彼はそれでやっと照れたように笑った。 |
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