「あっ……」
放課後の校庭、 サッカーボールを追いかけていたはずの乱太郎が 急に短く叫んで足を止めたので、 皆がなんだなんだと立ち止まり、彼を振り返った。 ボールだけがポン、ポンと音を立てながら先へと走っていく。 乱太郎はは組の皆に見向きもせず、 草むらへ近寄っていってかがみ込んだ。 「なんだよ、乱太郎」 「どうしたの、急に」 きり丸としんべヱが言いながら彼の背後に立ったが、 すぐに乱太郎の行動のわけに気付く。 乱太郎の肩越しに覗き込んだその草むらに、 傷ついた白い鳥がうずくまっていたのである。 左の羽根は根元から、 どう見てもその方向には曲がりようがないだろう というほうへ曲がっていて、 なにか絞ったようにところどころ締めつけられている。 よく見ると、視界に入りづらい透明の糸が絡みつき、 その羽根を容赦なく痛めつけているのがわかる。 汚れもなくまっ白のはずの羽根はすでに血に染まり、 それが乾いて茶色くこびりついていた。 「うわぁ……ひでぇ」 「痛そう」 乱太郎がそっと鳥を抱え上げようと手を伸ばしたが、 鳥はそれを攻撃とみなしたのか、 くちばしで鋭く彼の指先を突いた。 驚いて乱太郎は指を引っ込めるも、 どうしろっていうのさと途方に暮れたように呟く。 人間の怪我とはわけが違うようであった。 「鳥……? ちょっと待って」 草むらを覗き込んできた三治郎が、 すぐになにかを思いついたように級友たちに さっと視線を走らせた。 虎若と目が合うと、 それだけで二人の意図は一致したらしい。 「生物委員の先輩がいないか、見てくる!」 「そこで待ってて」 二人は厩舎のほうへ駆けだした。 その少し奥には生物委員の活動拠点である 種々の飼育小屋が点在している。 委員会活動の呼び出しは受けていなかったが、 なんといっても生き物を相手取る生物委員である、 その世話のために大抵誰かは飼育小屋近辺にいるし、 常に当番で様子を見る役が決められているのである。 せめて誰か先輩がつかまえられるのではと、 三治郎と虎若は考えたのであった。 ややしばらく。 三治郎と虎若が引っぱってきた人の頭巾の色を見て、 一年は組の皆はなぜか思いきりほっとしてしまった。 渋緑色の装束が見えたらどうしようかと思っていた。 もちろん、慕うべきところもある先輩ではあるが、 恐らく一緒にやってくる蛇はやっぱり苦手としか思えない。 虎若と三治郎にぐいぐい引っぱられて連れてこられたのは はるかに背が高く青の装束を身につけた上級生。 生物委員を取りまとめるひとり、 五年生の竹谷八左ヱ門である。 「鳥が怪我してるって? ……ああ、こりゃ、ひどい」 言葉のわりにはあまり深刻でなさそうに目を丸くし、 八左ヱ門はは組の皆をかきわけると 鳥の正面にしゃがみ込んだ。 しばらくじっと様子を見ていたが、 やがてゆっくり、鳥へと手を伸ばした。 「あ、先輩、危ないです、つつかれますよ」 乱太郎が慌てて言ったが間に合わず、 直後に八左ヱ門の指も鳥は容赦なく突いた。 「いてっ」 反応は口だけで、 平然としたまま八左ヱ門は指を引っ込めたが、 懲りずにまたそろそろと抱き上げることを試みる。 「先輩、だめですって……」 「シッ。 いいんだ」 鳥は限界までその指を避けようとしていたが、 瞬間、くちばしで八左ヱ門の指の端を突いた。 その鋭い先が刃物のように、彼の指のはしを裂く。 ピッと血の雫がわずかばかり飛び、 は組の皆はひゃあ、と押し殺した悲鳴を上げた。 八左ヱ門もさすがに痛みを感じたのか、 きゅっと顔を歪めたが、 何事もなかったかのように囁いた。 「……よーし、いい子だ……」 語りかけながら、 八左ヱ門は度重なる鳥の攻撃にも臆せず、 手のひらを見せるようにしながら ゆっくりと指先を近づけていく。 「……恐いんだな。そりゃ、仕方ないか。 悪いな、痛いだろうにな。 せめて手当てくらいさせてくれ、よ、……」 呪文でも唱えるように言いながら、 八左ヱ門の手はとうとう鳥をそっと抱き上げた。 逃れようと暴れて、鳥は手の上で藻掻いている。 八左ヱ門の手は何度も突かれ、小さな傷がみるみる増えた。 子どもたちはハラハラと先輩のすることを見守っている。 そっと、大切そうにその手を目の高さまで掲げ、 どうにか顔色でもうかがおうかというように、 八左ヱ門は鳥をほうぼうから覗き込んだ。 その格好のまま、口を開く。 「糸、外さないとな……どうにもならねーな…… 医務室行くか、医務室」 独り言のように呟いてさっさと彼は歩き出したが、 その言葉はは組の面々の同行を促しているようだった。 誘われるでもないのに、十一人の一年生はぞろぞろと、 八左ヱ門の後ろをついて医務室へ向かった。 八左ヱ門は鋏で器用に鳥の羽根に絡みついた糸を切り、 ぬるま湯でそっと羽根をあたためこびり付いた血を拭い、 薬を塗って包帯を巻いた。 「よし、我慢したな、えらいえらい。 悪いことをしたな、ウチの誰かはわからんが」 すっかり大人しくなった鳥の頭を 指先で撫でてやりながら八左ヱ門はそう言った。 は組の皆はその意味するところがわからずに首を傾げる。 例の如く医務室にやってきていた保健委員長が、 さりげなく口を挟む。 「あの糸はね、 忍が敵を罠にかけるときに使うものの一種なんだ。 木々のあいだに張って鳴子にしたりする。 ……どこかのクラスが実習からひきあげるときに、 始末をし損なったんだろうね」 失敗の多い自分たちのクラスを思って、 は組の皆は一瞬ヒヤリとさせられた。 自分たちのせいではないらしいことに思い当たっても、 人間が鳥の生きる場所を侵したがゆえに起きた惨事と 考えると胸が痛むのを誤魔化せようもなかった。 「先輩 この鳥」 「ああ、本来は治るまでは面倒見てもいいんだけどな…… うーん」 なにか問題があるのかと、 彼らは不安そうに目を見合わせる。 八左ヱ門は少々言いづらそうに苦笑する。 「いや……、治らないから」 さらりと軽く言い放たれた一言に、 十一人は固まってしまった。 八左ヱ門はそれに気付きながらも、なお続けた。 「傷は癒えても、 羽根が根っこからイッちゃってるもんな…… たぶんもう、空は飛べない」 誰の口からもなにも音すらも漏れなかった。 八左ヱ門はあまり言いたくなかったんだけどなと、 そんな顔をして、続けた。 「……でも、ま、……命だからな。 あるだけで、意味はあるさ。なぁ、鳥」 鳥の首筋を撫でてやる。 八左ヱ門のその指に、鳥が自らすり寄った。 「じゃ、こいつはしばらく俺が預かることにするよ。 飼育小屋のまわりに置くと、毒にかぶれるかもしれないし」 「お見舞いに行ってもいいですか?」 「…… ああ 。 もちろん」 いつでも惜しげない満面の笑みを浮かべる先輩は、 このときに限って口の端を小さく持ち上げて 微笑するばかりであった。 他の皆は気付かなかったが、三治郎と虎若のふたりは 背筋の薄ら寒くなるような違和感を覚え、 手を振って出ていく彼に応えることができなかった。 一方の八左ヱ門は、 鳥を連れたままで五年生の長屋まで戻ってきていた。 怪我を負った鳥を見て、 友人達はそれぞれなりの反応を見せる。 可哀相に、ひどい怪我だ。 すぐハチに預けられて運が良かったよな。 けどこの分じゃあ、悠々飛べるようにはならないか。 どの言葉にも答えず、 八左ヱ門は黙り込んだまま鳥の首筋を撫でてやっている。 虫獣遁に使えるでもないだろうにと、誰かが呟いた。 「……見つけた一年が、見舞いたいと言うから」 「安楽死させてやることもできなくなったってか」 「甘いんだよな、俺、小さい弱いものに」 一年生達の手前、本音は何一つ言えなかった。 今度は友人達が黙り込んで答えない。 横たわる沈黙は よく知っているよ と言いたげに。 「……愛玩用にしかならないか。どうする、鳥」 おまえ、それでも生きていたいか? 静かなやわらかい口調で、 ときに恐ろしいほど殺伐とした言葉を投げる。 友人達は一瞬ぞっとして、 冷ややかな目で鳥を見下ろす八左ヱ門を ただじっと見つめた。 鳥はただ、くくる、とのどを鳴らして、首を傾げた。 言い訳
俺は忍で、
忍というものはまずなによりも任務の遂行を重んじ、 そのために自も他も押し殺すことも厭わず、 ときには命すらも危険にさらし、 傷を負い、傷を負わせ、 いろいろなものを踏みにじることに躊躇いを見出さず、 冷静に、冷徹に、冷酷にあるものだ。 その生き方をお前が好しと思わないことも 俺はわかっているつもりだが、 それでもこればかりは俺は譲れん、俺は忍だ、 ひとりの人間である以上にそう思っているふしがある。 だからお前をかえりみることのない月日もあろう、 お前が嫌と言っても振り切って出ていくこともあろう。 お前を、俺なりに大事に思っているのは、 それは嘘ではないが、それでも、 お前につらい思いも嫌な思いもさせ続けることになるだろう。 わかっていながら俺はそれを改めることをしない。 俺がそうして生きている世界と 関係のないところでお前は育ち、 きっとこんな男と関わることになるなどと 考えもしてこなかったろう。 けれど俺は自分の立ち位置を お前のために捨てようとは思えない。 俺はそういう男だ、 お前よりも任務が大事と正面きって言えてしまう。 どんなに大事にしているつもりでも、 二番目にしか想ってやれん。 さんざんなことを言っているのはわかっているが、 その場しのぎを言うのを親切とは俺は思えない。 世間の女達は俺のようなのを ろくでもない奴とののしるだろう、 それで間違っていないと俺自身も思う。 お前はいい女だ、少しばかり待てばもっとやさしい、 俺よりもお前を大事にしてやれる男が絶対に出てくるぞ、 お前だってそれはわかっているだろう。 ──それでも、 それでも、俺でいいのだとお前が言うのなら、 (彼女は涙目でうんと頷いた) 結婚しよう。 言い訳
「本日の授業はここまで! えー、解散の前に」
土井師範が聞き慣れない言葉を続けたので、 やっと終わったとばかりに姿勢を崩し始めてしまった 五年は組の一同は不自然な格好でぴたりと固まった。 「来年度からの授業で使用する教科書の配布を行う。 最上級生になって初めて受ける授業もあるからな、 中身もよりいっそう難解になるし、 今から目を通して把握しておくように」 ええー、とブーイングが上がる。 このあたりの反応は一年時から変わりやしないと、 土井師範は苦笑混じりにわずか肩を落とす。 目を瞠るほどの成長を遂げた生徒達だから、 けれど多少のことは許せてしまう。 担任の贔屓目というやつだろうかと 土井師範はぼんやり思った。 教室の隅に積まれた幾種類かの書籍も、 大事に使えよと手渡すのはこれが最後になる。 もう卒業まで一年と少しかと、感傷的にもなろうものだ。 六年生向け「忍たまの友」。 「文字と暗号の日本史」。 「近代戦乱史」。 「せんせー。 六年にもなってこんなに教科の授業あるんスか」 「弱音なんて吐いていられなくなるぞ。 私のおすすめは『近代戦乱史』かな。 つい先日、新改訂がなされたばかりだ」 「おすすめって、文芸書じゃないんスから……」 はは、と土井師範は笑い、じゃあ今度こそ解散、 と場を締めくくって教室を出ていった。 手元に残された新しい教科書を見下ろし、 はーぁ、とあからさまに息をつく。 “おすすめ”らしい「近代戦乱史」の教科書を ぱらりと開いてページを繰ってみる。 人の歴史には争いの歴史という側面もある。 忍というもの、またその前身といえる立場のものが 戦乱の陰に日向に暗躍し始めた頃から数え、 各々の戦においてなんという忍がどんな活躍をしたのか、 それがページ毎にまとめられている。 読んで字の如く忍んでこその忍者は、 活躍しても世の中に名を知られることはないから、 この教科書は忍術学園という場所ならではの 教材といえるだろう。 一流の忍を目指す忍たまたちにとり、 これは知られざる英雄の記録なのである。 数十年前の年号が記されたある戦乱の立役者に、 大川平次という名を見つけた。 「うーわー。学園長先生が載ってるぜ、これ」 「……本当はすごい人だったんだね…… これを見ても全然そうは思えないけど」 それがまたある意味ではすごいと、隣で乱太郎が呟いた。 確かに、教科書の中の大川平次の活躍は、 どこぞの娯楽小説の一端かと思われるほどに派手で、 それがまた面白い。 今現在の学園長という人を知っていれば、 作り話なのではないかと疑いたくなるほどだ。 文芸書をすすめるようにすすめたくもなるものだし、 娯楽としても読めそうだと、 相変わらずの図書委員・きり丸は思った。 ぱらぱらと、読むでもなくページをすすめながら、 きり丸は近代というよりも 現代と呼ぶべき年号のページで手を止めた。 現代というより、ほとんどこれは……昨年の話である。 昨年というほども以前ではない。 つい、数か月前の話。 彼は真面目に、その文章を読み始めた。 そこに描かれた活躍、その人の名に、きり丸は息をのんだ。 言い訳
大人になったら という、幼い頃の口約束を、
本当にしてみる気はないかと、問うつもりでいた。 ところが君ときたら、 恋愛感情とは似ても似つかない情熱を爛々とその目に宿し、 まるで睨み上げるように私を見据えて言ったのだ。 「やっとあんたと同じ位置に立てたわ。 もう子ども扱いはさせませんからね! とりあえずちゃん付けで私を呼ぶのをやめてもらえない、 利吉さん」 まぁ、ほんの数歳差ではあったのだけれど…… では君も、やっと私をちゃん付けで呼ぶのを、 卒業してくれるということで。 ああ、それはもう、願ってもない…… 「いいよ、君がそう言うのなら、従おう。 私と君とは対等と、そう思っていいね」 「もちろんですとも」 得意そうに言ってみせる君は、 確かに強がりや背伸びでは決してない、 もう立派に大人の女性と呼んでいいのだろう。 幼い頃に愛おしんだはずのなにかはきっと、 いつの間にか淡く色褪せ、枯れ崩れて消えてしまった。 それを惜しいと思う私の内心はなにか、 ひきつれた痛みのようなものを覚えるのだけれど、 同じように君の目から覗いてみれば、 私からも失われたものがあるのだろう。 幼いなにかが身から剥落して、 ひとは口々にそれを喜び讃辞を向けてくれるけれど、 当の本人には言われるほど顕著な変化の自覚がなくて、 面映ゆいやら、素直に喜べないやら…… どことなく寂しいような、切ないような。 慶事を迎えたことを自分だって疑ってはないというのに。 君が追いついてくれることを、 私はじっと待って今を迎えたけれど、しかし、 君はそんな私に気付かず、 先へ先へと走っていくことばかりを夢見ている。 今度も私は待つ番なのか。 走って先へ行ってしまった君が、 いつか振り返ってくれたそのときには、 君はやっと私に気がついてくれるんじゃないだろうかと、 少しばかり、期待している。 ただの幼なじみとか、戦友なんて私ではなくて、 君を君ひとりの存在として見つめている私に、 気付いてくれはしないかと。 そのときこそは、私は臆せず、君のとなりに並ぼう。 そうして私を見上げたその目には、 もう少し甘い情熱が宿っていてくれることを、切に願う。 言い訳
別に眠れぬわけじゃない。
お前と一緒になどしてくれるな。 ただ、この冷たい空気…… 冴え冴えと渡っていく冬の底を見ていると、 自分も芯から澄み切っていくような気がしはしないか。 なにを笑っている。 ロマンチストだなどと、お前に言われる筋合いはない。 もう明日だ、夜が明ければすぐの朝の話だ。 今更慌てたところでどうなるでもない。 やるだけのことはやったのだろうが。 腹をくくれ、男らしく。 ……ああ、女か、 わかった、わかってる、怒るな、冗談だ…… ……よく考えれば、 この試験を落としたところで死ぬでもなし。 けれど必死にはならねばならん。 先の展望を、俺たちは掴みたがっているのだから。 そのために惜しむのは勿体のない話だろう。 今お前に、やり損ねたと悔いが残っているのなら、 こんなところで油を売っている場合ではないぞ。 ……だが、まぁ、 がむしゃらにやりすぎるだけでも、 ことがすべてうまくはかどるわけでもなし。 道理は複雑にできているものだ、 明らかな根拠も理由もないことだというのに。 自然とか、いつもどおりでいられることが、 たぶんいちばんいいのだな。 そしておそらくそれがいちばん難しい。 けれど、わざわざ面倒に考える必要もないだろう。 あとはなるようになれ…… ま、楽しめれば、いいだろうな。 一緒にするなと言いながら、俺ばかりが喋っている。 ……誰かと話してみたかったのかもしれん。 なに、弱気になっているのではない。 此度の試験はお互い競い合うでもない、健闘を祈る。 そろそろ眠ろう。 難しい事情もなにもかもをすっ飛ばして、 最後には皆で笑えたらいい。 ……ロマンチストと呼ばれても、 否定ができない気がしてきた。 夢見がちなところは、俺にも少しくらいはある。 一流の忍にと声高に言い続けてきたのは俺だ。 せめてゆっくり休めよ、寝坊などするなよ。 お前は最後の最後でいつも詰めが甘い。 俺の隈はもう睡眠時間を確保しただけで 簡単に取れるようなものではないからな。 自分の身体のことは把握しているつもりだ、案ずるな。 では、明日。 お互い無理のなきように。 言い訳 |
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