「ち、近い、三郎……」
「そりゃあ近いよ」 「三郎の他のものなにも見えない……」 「いいよ、見なくて」 俺だけ見てろとはちょっと言えなかった。 さすがに恥ずかしいよな。うん。 俺も万能じゃないってことさ。うん。 この状況を説明すると、勢い。 こう、がばっと。 気がついたらこうなってしまっていたあとだった。 いや、それなら、退かないだろ? 男として? こいつが嫌がったらそれは別だけど。 きかん気の強い、やんちゃな奴だけど、 こうしてみたらそりゃあ、女の子だ。 ああ、目がうるうるしてら。 顔も真っ赤だ。 ちょっと震えてるか。 板の間に散った長い髪が見蕩れるほどきれいな曲線をそこに描く。 ついこの間、俺とこいつとは、“仲直り”をしたところだ。 今まで通りに仲のいい友人同士に戻ったけれど、 お互いがお互いを好きらしいということは知っている。 男女の友情も成り立つもんだと俺は思ってるけど、 こいつは友情というのとはちょっと違う相手だ。 他の男が手ェ出したら妬くだろうし、 なにごとかが起こる前に奪い返しに行くだろうな。 それでも恋人同士じゃないんだぜ。 おもしろいなー。ははは。ってぇ他人事かっつーの。 でも、こうなってしまったら。 そうとばかりも言ってられないよな。なぁ。 「さ、三郎……」 「んー?」 「なにする気……」 「このままちゅぅしたら、また殴る? おまえ」 「……たぶん」 「じゃ、覚悟しとくわ」 「うそ……」 「嫌か?」 意地の悪い質問だ、我ながら。 答えなくていいよ。 なんとなく、おまえの考えてること、俺はわかるから。 似たもの同士なんだもんな、つまるところ。 素直になってみたいよな。 そしたら、きっとおまえは可愛いよ。 でも俺が素直になったら気持ち悪がられるんじゃないかな。 どう? でもさ。 この衝動は。 考えるのも数拍遅れてほら見ろ、これだよ。 これが俺の本音ってことか。 ざまぁねぇな。鉢屋三郎。 あー、太股やらけぇなぁ。 口にも顔にもこれは出せない。 だってなぁ、セクハラはなぁ。 言おうものなら即平手打ち。 即座によけられる体勢とは言い難い。 いや、やろうと思えばできるけど、 ……もうちょっとこのままくっついていたいような、気がする。 「三郎……」 「だって」 「え……」 「だってさ……好きだよ」 キョトーン、目をぱちぱち。 ああ、素直になった三郎さんは、やっぱ気持ち悪いですかね? 言いたいことも言わないでバカやってたほうが俺っぽい? おまえの前でまで、ごめんだ、そんなの。 「嫌なら抵抗しろよ」 身体中が熱い。 きっと俺も、赤くなってるんだろうな。 唇が触れる間際に、 抵抗なんかしないで、目を閉じてくれるのがわかった。 ああ、もう、もう、それだけでいいよ。 なにもいらないよ。 よかった。 なんでか、安心した。 好きだよ。 言えてよかった。 言い訳
いきなりこんなこと考えるのもナンだけど、
食い気と色気には共通点があると思う。 欲求という点では同じだ。 満ちるのがカラダのどこか というのが違うけれど。 好き合ってる男と女のことはじめ、 その最初が口付け(だろう)というのがまた。 どうして口なんだろうとか、 まぁ、真面目に考える奴なんかいないだろうな。 唇も舌も、指同様に器用には動くから、考えずとも不自由はない。 誘うように唇がわずかに開く。 チラとそこからのぞく、りすのような歯の先と舌。 吸い付く。 甘く噛む。 舐め上げる。 ほらな。 なんの話かって。 俺の目の前にいるこいつの話だ。 別にやましいシーンてわけじゃないぜ。 健全そのものだ。 俺達は今日、一緒に町に出かけてきていて、 ひとまわり歩いたあと、いつもの茶屋に腰を落ち着けた。 甘味と塩味が絶妙な具合に同居する、 つや光りするあんのかかった団子が、こいつの気に入り。 それを御機嫌でぱくぱく食うわけ。 話も忘れて。 すぐそばで見ている恋人が、 まさかそんなよこしまな目を自分に寄越しているなんて知る由もない。 例えるなら。なんだ? いちご。 さくらんぼ。うん、さくらんぼ。いいな。 甘そうだ。 あの涼やかな香りもいい。 「きり丸。食べないの?」 やっと気付いたか。 俺の物欲しそうな視線の意味を、そうとらえたというわけ。 「んー。いまもらう」 「うん」 なにも疑問に思わなかったらしい。 あんがついて蜜をぬったように艶やかな唇をぺろりと舐める。 ああ、おい、ちょっと。 挑発してるわけじゃないってのが、厄介なところ。 こいつら、くの一。 男の性分を知らないわけじゃあないくせに。 どうして任務の場を離れたら、こんなに無防備なんだろう。 知らねェぞ、もう。 「さっきから黙り込んで。 怒っているみたい。どうしたの。機嫌悪いの?」 聞いてきたのには答えなかった。 人目を忍んで、赤く色づいた唇を一瞬、盗む。 吸い付く。 甘く噛む。 舐め上げる。 腹のくちる話じゃないが、別のどこかは満たされる。 満足したと思ったその裏で、 もう少し欲しいと背筋にむず痒いものが走る。 矛盾してる。 食い気と色気の決定的な差はこれだろうか。 「ちょっと。きり丸」 「いまもらうっつったろ」 「ちょっと」 「誰も咎めねぇよ」 「私が咎める」 「その口塞ぐ」 ほしいと思ったら、我慢はすべきじゃないよな。 うん、本当は、調子に乗ってる自分ってやつを、自覚はしてるよ。 ごめん。 エスカレート、するわ。 腹減ってるときだって、もの食ってるときだって、 満足するまで箸なんか置けねェだろ。 そういうことだよ。 甘い。 その味の正体が団子だとはあんまり思いたくないけど。 色気ねェ話だ。 でも、甘いよ、な、頭ン中がピンク色してる。 食い気と色気はよく似てる。 甘そうな美味そうな唇が四六時中俺を誘う。 飢えた獣よろしくのお年頃の俺を前に、なぁ、 どう考えても、おまえのせいだぞ。 募り募っていく俺のこの欲をどうしてくれる。 もう一歩調子に乗る直前、呆気なく唇が離れて、遮られた。 ああ、ああ、ちょ……待て…… 「おあずけ」 犬かよ! けど忠実なワンコの前に、 無情にもわが愛しきご主人様は餌をちらつかせて囁くんだ、 そんな態度でいいの? なんて。 うなり声を上げる俺の内の獣をなんとかなだめすかす。 いい子にしてるだろ、俺。 御褒美、期待しちゃうぜ。 言い訳
これは、本当にあった話なんだ。
ううん、あった、という言い方は ちょっと違うかもしれない。 なんせ、つい昨日だって目撃者が出てる。 この学園の中で、今も起こっていることなんだよ。 ゆうれいが出るんだ。 決まって晴れの日の真夜中と聞いてる。 僕らは──生物委員は──委員会で世話をしている動物の 様子を見るのに、ときどき夜でも見回りに行くことがある。 ほとんどは先輩たちの仕事だけど、 手の足りないときは僕たちも一緒について行くんだ。 最初は孫次郎が見た。 ひゃっ て飛び上がって、倒れちゃったんだって。 一緒にいたのは竹谷先輩だったけど、 先輩は孫次郎が悲鳴を上げるまでは 動物たちのほうばかり見てて、気付かなかったって。 孫次郎に聞いた話だと、 そのゆうれいは若い女の人の姿をしてるらしい。 まっしろなんだって。 装束が白なのはお約束かもしれないけど、 髪も、肌も、月の下だと青みがかって見えるくらい、 透けて白く見えるって。 生物委員の飼育小屋のあたりと、 医務室の庭──保健委員が薬草を育ててる──あそこ、 そのあいだの原っぱにぼう……っと、立っていたんだって。 風が吹いたら、糸みたいにふわっと、髪がなびいて。 ゆうれいだ って思ったらとても恐いのに、 ものすごくきれいで、とても悲しく見えるんだって。 僕たちはまだ、見たことがないけど。 いいや、夜中の当番は、 それ以来先輩方が全部やることになっちゃった。 今は一年生全員、朝か夕方の世話だけやってる。 ……この話をすると、先輩方は嫌そうな顔をするんだ。 竹谷先輩なんか、しまいには怒り出すんだもの。 ほんとだよ。 いつも笑ってる先輩がいきなり厳しい顔をすると、 ほんとに恐い。 先輩方はもしかしたら、 あのゆうれいのことを知っているのかな。 昔はどんな人で、どんな心残りがあるのかとか。 だってね、先輩方も、 そのゆうれいを何度か見ているみたいなんだ。 孫次郎が見て騒ぎになっちゃったあともだよ。 でも、先輩達はなにも言わない。 なにもなかったみたいに、いつもどおりにしてる。 あのゆうれいにはきっと、なにか秘密があるんだね。 もしかしたら、昔、この学園のくの一だったのかも。 夜な夜なあらわれて、 僕たちになにかを伝えようとして…… 「学園長先生の元ガールフレンドの幽霊だったりして!」 誰かの声がいかにもわざとらしく、明るく話を遮った。 一拍の間をおいて、場の皆が失笑に近い笑いを漏らした。 「やだなぁ! 変なこと言うなよ」 「あーあ、せっかくいい雰囲気だったのに」 学級委員長の部屋に集まって、 一年は組の一同は持ち寄った恐い話を 披露し合っていたところだった。 夏の夜でもないのに物好きなことだと皆思っていたが、 誰もそれを口に出そうとはしなかった。 順番が巡ってきて、委員会の友達がゆうれいを見たと、 自分たちの現実とリンクする話を披露したのは虎若だった。 話の結末を掻き乱されたが、虎若は気を悪くせずに まぁ、きっと、見間違いかもねと笑っている。 三治郎は見てないの、と、 同じ生物委員の三治郎に誰かが問うた。 ずっと虎若の話に耳を傾けているばかりだった 三治郎は、聞かれて初めて気がついたというように え、と顔を上げる。 「虎若の話だよ」 「若い女の人のゆうれいの」 「ああ……あれ」 三治郎は不可解だと言いたげに首を傾げ、 「あれ……全然ゆうれいっぽくないんだもの」 呟くように一言、きれいさっぱり言いきった。 三治郎の父上は山伏で、 三治郎も長い休みのあいだは山伏の修行をしている。 独自の見解を持っているようなところがあるのは、 異界を覗き見るその修行の経験のためだろうかと、 一年は組の皆はぼんやり思うことがある。 「こ……こわいは なしだっ たね!」 ぎこちなく誰かが言い、皆が力無く笑った。 なにが恐かったと言って、話の中身ではない。 三治郎が付け加えたその一言の効果が、 話の現実味を増すことに貢献してしまったためである。 急に肌寒さを覚えて、皆はあわあわと立ち上がり、 自室へと引き取っていった。 空にはまるい月がかかっている。 こんな夜、学園の外れのあの原っぱに、 ゆうれいはあらわれて悲しげに立ち尽くすのかもしれない。 ■言い訳(長い
拝啓 ユキさん
文をどうもありがとう お返事が遅れましたことをどうぞお許しください 冬と一言で表しても様々にあるもので こちらの冬はすべて雪の白の中に埋もれてしまいます どうやらユキさんの文も そのために到着が遅れたもようです お返事を差し上げる今日この日は弥生の十日 さすがの雪国もそろそろ春めいては参りました 雪深き見知らぬ土地に住まうとあれば わけもなく心許ない思いを抱くこともあるものですね そんなときはよくユキさんのことを思い出します お屋敷を抜け出して河原で石を投げ水切りなどして お勉強をさぼったりもいたしましたっけね 北の国は寒いけれど 人の心はあたたかいからと夫が申しておりました 慣れないことばかりで戸惑いもいたしますけれど 新しい生活も悪いことばかりでは決してありません 弥生三月ともなれば そちらは花もほころぶ頃でしょうか こちらはまだまだ雪の六花ばかりが咲くのだそうです ひどい年には皐月の頃まで続くのだとか まるで自然が耳元に息づいているかのように 日々近々と感ぜられます 口惜しいことにはあの愛しき秋の花 金木犀がこちらで咲くことがないということ 季節の違う話だけれど そのようなことを知るにつけ 遠く離れてきてしまったことが身にしみて思われます 遊びにいらしてと簡単には申し上げられない遠方から せめてユキさんがお元気でいらっしゃることを 心から願っております 本音を申し上げますれば あなたはあなたの目でもって ご実家のためならずただただご自分のため ひとりの殿方を選ぶことができますように 同じ困難の待つ未来であるならば より幸せな道を見出せますように 雪に埋もれて寒さにまかれて それでも私が幸せであるように いつかあなたの身の上に 果てもないほど幸せが降りそそぎますように もうひとつ願わくは この文がユキさんのお手元に無事に届きますように 河原であの石が七回 水を跳ねていったように 少々の困難なら越えていってくれることを 最後の最後に願います どうかあなたもお元気で 風邪など召されませぬよう 怪我などなさいませぬよう 御家族と仲良く お友達と仲良く あなたとあなたのまわりのすべてのものが しあわせに満ち足りてそこにありますように 弥生十日 春近き北の国より 柿崎のねむ 言い訳
上手ですねぇ。
針を運ぶ手元に注がれる視線。 彼は心底感心したような口調でそう言った。 「毎日やってることだもの」 海に出る許しが我が身にもあれば、 針仕事にばかり精を出さずともよいはずだと、 もうお決まりになってしまった愚痴をこぼす。 水軍精鋭の中では最年少だろう、 網問はまだ少し幼さの残って見えるまなざしを じっとその針と糸の軌跡に向けている。 「……昔・僕の生まれたところではね」 静かな声が語り始める。 返事はしなかったが、 チラと彼のほうを見やると視線が合ったので、 ここに語り手と聞き手の役が成立したことを知る。 「女の人の針仕事は、 とても大切な意味を持っていました。 刺繍の一番上手な女の人が、 村長の息子の花嫁に選ばれるんです」 「……お嫁さんに必要とされる技能だったのね」 「はい」 網問はまた、彼女の手元に視線を戻す。 「……花嫁さんに、なれますよ」 「誰の? ウチの“村長”だったら、お頭?」 冗談めかして答えると、網問はくしゃりと苦笑した。 「水軍の中の、こういう……ひとの関わり方には、 僕はびっくりしました。 僕が元々は外から来たせいだろうけど」 「そうね。私には違和感がないもの」 「でも、好きな人がひとりだけできたら、 考えが変わったり、するんでしょうか」 誰のことを言っているつもり、と、 網問に聞いてみようかと思ったけれど、 なんとなく口を閉ざしてしまった。 「規律ではないもの、従う必要はないのよ。 網問は網問で、いつかそのときが来たら選べばいいわ。 あなたが必要とするのは、 刺繍の上手なひとではないかもしれないけれど」 笑ってみせると、つられたのか、網問もにっこりと笑った。 「僕はまだ、全然です。先の話ですよ。 でも、……僕の手の届く距離にいる人たちには、 みんな幸せになってほしいなぁ って」 針先を見つめていた視線を思わず上げた。 網問は意味を含めているのかいないのか、 少し切なげにも見える目をして、微笑んだ。 言い訳 |
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